血染めの枕

いつもみたいに、おやすみって言って、次の日の朝も、いつもみたいにおはようって言う筈だった。
でも、シューは起きて来なかった。いつもは自分よりも早起きなのに、朝ごはんが出来ても起きて来なかったから、起こしに行った。
何度呼びかけても、揺すっても起きなかった。ずっと眠ったまま。血の気の失せた、蒼白い顔をして。
死んだわけじゃない。確かに生きている。ただ目を覚まさない。もう五日間この状態のままだった。医者に診せても原因はわからない。心に穴が空いたようだった。あれほど大食らいだったエックスも、今はほとんど食事が喉を通らない。
ベッドの脇に座って、そっと触れた手も氷のように冷たい。このままずっと目を覚まさなかったら、と思うと氷の棒を心臓に突っ込まれるような感覚に陥った。

「シュー……このまま君の声を聞けないなんて、そんなのイヤだよ……」

ぎゅっと手を握り震える声でそう呟く。その時、下の階で物音がしてエックスは慌てて階段を駆け下りた。サレとミリンが帰って来ていた。二人はシューに何が起きたのか調べに行ってくれていた。

「何か、わかった?」
「ええ、私としたことがちょっと手間取っちゃって。何せ古い記録で……シューはナイトメーアに憑かれたんだわ」

ミリンは古びた本を取り出してナイトメーアのことが書かれたページを見せた。悪夢の化身と呼ばれるこの魔物に魅入られると、血の海で溺れる夢から一生目覚めない。その文面を見てエックスは血の気が引いていった。

「そ、そんな……助ける方法は、助ける方法はないのか」
「エックス、落ち着いて」

サレが半狂乱になったエックスを落ち着かせる。

「私を誰だと思ってるの? ちゃんと助ける方法も調べてきたに決まってるじゃない!」

ミリンはいつもの調子でそう言うと、懐から見るからに危険そうな赤い液体が入った小瓶を取り出した。ミリンの表情が真剣になり、エックスは緊張した。

「これにシューの血を一滴混ぜて飲めば、同じ悪夢に入ることができる。そこからシューを連れ出すことができれば……でも、絆が深い者にしかできないことなの。もし失敗すればあなたも永遠に悪夢の中に閉じ込められてしまう。それに、これは毒薬だから飲む時はとても苦しいの」

ミリンはそう言うと俯いて小瓶を引っ込めた。

「……勇者の盟友であるあなたを危険な目にあわせるわけにはいかないの。だからこれは私かサレが使うって話をしてたの」

エックスはサレとミリンの顔を見ると、小瓶に手を伸ばした。手を離そうとしないミリンに、大丈夫、と穏やかに笑いかけると小瓶を受け取った。

「僕が飲むよ」
「待って、よく考えて、あなたは……」
「僕は、勇者の盟友である前にシューの友達だよ」

サレの言葉を遮って、エックスはそう言った。

「友達ひとり助けられなくて何が盟友だ」

サレはこうなってしまうと最初から予感していた。きっと命をかけてでもシューを救い出そうとする。だから黙っていようかとも思った。エックスだけを危険な目にあわせたくはない。

「ま、待って! ねえミリン、私も一緒に行くわ」
「できないの。夢に入るのは一人だけ」
「そんな、エックスだけ行かせるなんて、どうしていつもあなたばっかり」

エックスは、悔しそうにそう言ったサレの肩を抱いて笑った。サレのこういう優しいところが大好きだった。

「ありがとうサレ。でも僕は今までのことも全部自分で決めてきたんだ。君が言ったみたいに、運命なんて言葉で片付けられたくない。今回も僕が行くって自分で決めた。必ずシューと一緒に帰ってくるよ。だから、帰ってきたら僕とシューの好きなものたくさん作ってよ。きっとお腹すいてると思うし」

いつものようにへらっと笑ったエックスに、サレも笑顔を作って頷いた。

「じゃあ準備しましょう。サレはここで待っていたほうがいいわ」

エックスとミリンはシューの部屋へと向かっていった。残されたサレは、窓際にあるソファに座り、大きくため息をついた。


シューの指に細い針を刺し、流れ出た血を一滴、小瓶へ落とす。液体は瞬時に赤黒くなり、見る者を不安にさせた。ミリンはエックスにそれを渡す。

「もう一度言うけど、すごく苦しいと思うから……」
「ありがとうミリン。君がいてくれてよかった」
「今生の別れみたいなこと言わないで。必ずシューを連れて戻ってきてよ」
「うん、じゃあ……外で待っててくれるかな。のたうち回ったりしするかもしれないし、あんまり見られたくないからさ……」

頷いたミリンが部屋を出て行ったことを確認すると、エックスはシューを見つめた。青ざめたシューの顔からは死を感じた。

「シュー、必ず助けるからね」

赤黒い液体を一気に飲み干す。その瞬間、全身の血が逆流し凄まじい目眩に襲われた。心臓は早鐘を打ち、あまりの苦しさに抑え切れず呻き声を上げる。想像よりも長い間苦しみ、シューの脇で気を失った。



次に目が覚めたとき、エックスはベッドの上にいた。いや、目が覚めるというのはおかしいかもしれない。もう自分がどうなっているのかはわからなかった。あたりを見回すと見覚えの無い部屋の中で、体を起こそうとしたがひどい目眩がして諦めた。
(どうなってるんだろう……これも夢?)
あまりにも現実味がありすぎて混乱していると、部屋のドアが少し開き、隙間から小さな瞳が覗いた。

「……おにいちゃん、おきたの」

ドアが開かれ、入ってきたのは小さな男の子だった。黒髪に白い肌、銀の瞳。何より隠された左目を見てエックスは確信した。この子はシューだ。これは恐らくシューの過去の中に入っている。しかし、血の海で溺れる、という夢とはかけ離れている。考え込んでいると、おにいちゃん?と、声をかけられてはっとした。

「あ、えっと……」
「おにいちゃん、村の外でたおれてたの。パパがつれてきたんだよ」
「そ、そうなんだ、ありがとう」

シューはベッドの側に寄ってきて、興味津々に見上げてきた。

「おにいちゃん、なまえは?ぼくはシューっていうの」
「僕はエックスだよ。よろしくねシュー。えっと、お母さんかお父さんはいるかな?お礼を言いたいんだけど……」
「うん、ちょっとまっててね」

ぱたぱたと小走りで部屋を出て行ったシューを見ながら、エックスは目を細めた。子供の頃は意外に人懐っこかったようだ。すぐに部屋にはシューの母親が入ってきた。その顔を見て、エックスはぎょっとした。

(え!? サレ!?!?)
「あらあら、目が覚めたのね、よかったわ」

サレに瓜ふたつの女性は、大きなお腹をさすってエックスの様子を見に来た。同じ蜂蜜色の長い金髪が肩を滑った。

「ありがとうございます、助けてもらったみたいで……」
「いいのよ、それより体はどうかしら」
「まだ目眩が少しあって……」
「もう少し休んだほうがいいわね、お医者様はただの疲れだって言っていたから大丈夫だとは思うけれど」

すみません、と言うと女性は困ったときはお互い様、と言って食事の用意をするために部屋を後にした。しばらくしてシューが食事を運んできてくれた。

「ママ、お腹がおおきくてたいへんだから、ぼくがもってきたよ。あんまりお腹いっぱいにならないかもしれないけど……」
「ありがとうシューくん。ごはんが食べられるだけでも感謝しなきゃ。お母さん、お腹大きいのに迷惑かけてごめんね」
「ううん、こまってるひとがいたらしんせつにしなさいってパパとママがいってた。それにぼくおにいちゃんになるから。いもうとができるの」

嬉しそうに笑ったシューの頭を、えらいね、と言って優しく撫でる。なんてかわいいんだろう、と自然と顔が緩む。しかし、彼らがどうなったのか、エックスはシューから少し聞かされている。妹が生まれる筈だったことは初めて知ったが。

「おにいちゃん、あのね、げんきになったら、ぼくとあそんでくれる?」

シューはベッドの脇でおずおずと見上げてきた。子供には似合わない、寂しそうな瞳をしていた。

「もちろんだよ」
「ほんと?」
「うん」
「じゃあ、やくそく」

小さな指と指切りをしたところで、家の外から何か叫び声のようなものが聞こえてきた。怒号のような声で、シューが怯えていることに気付き、ベッドから起き上がって抱き上げた。体を震わせて異常に怖がっている。

「大丈夫だよ。僕がついてるから」

そうは言ったものの、身を守るものはないし、目眩も続いていた。騒ぎはどんどん大きくなり、やがて家の扉が叩かれた。

(一体何が起きているんだ)

エックスはシューを下ろし、フラつく足で部屋の外を窺った。シューの母親が扉を睨み付けている。

「どうしたんですか、これは……」
「巻き込んでしまってごめんなさい、あの子を……!」

何が起きているのかわからないまま、家の扉が破られ男性が一人倒れ込んだ。母親から悲鳴が上がる。エックスが駆け寄ると、その男性にはまだ息があった。家の周りを取り囲む村人たちからは、恐怖から来る狂気に満ちていた。

「さっさとあの悪魔の子供を差し出せ! あれが来てからこの村の周辺は魔物だらけになった!」
「あの子のせいじゃないわ! 悪魔はどっちよ、こんな、こんなことを……!」
「子供を探せ!」

エックスは家の中に入り込もうとしてくる村人たちの前に立ちはだかった。

「落ち着いてください、魔物が集まるのは別に理由があるはずです。小さな子供に押し付けるなんて、どうかしてる。目を覚ましてください」

その言葉に、村人たちが狼狽する。落ち着きを取り戻しつつあった村人たちにほっとしたエックスは、男性の手当をしようとした。

「パパ!!」

奥の部屋から出てきたシューが叫ぶ。

「シュー、だめよ、向こうに……」

母親がシューを抱こうとしたとき、彼女の背に矢が突き立った。村人たちを押し退けて入ってきたのは、黒いローブを被った者たちだった。

「ママ……」
「何をする……!!」

エックスが母親に駆け寄ろうとした時、背中から腹に貫くような激痛が走った。後ろから剣を突き刺され、エックスはその場に倒れ込んだ。

「おにいちゃん!!」
「連れて行け」
「イヤだ! パパ、ママ、おにいちゃん……!!」

ローブの男たちは、嫌がるシューを抱き上げて連れ去っていった。シューの声を聞きながら、エックスはただそれを見ていることしかできなかった。

なぜ、どうして。
幸せに暮らしていたのに。
新しく生まれる命があったのに。

血の海に浮かんだエックスの視界は真っ赤になり、そこで意識は途切れた。

そして、すぐに場面は切り替わった。今度は鉄格子の中のベッドの上にいた。

(え?)

エックスは自分の体を触ってみた。受けた傷もすべて消えている。あの後、シューはどうなったのか。エックスは頭を抱えて髪を掴んだ。
今まで感じたことこのない、人に対する憎しみが心に生まれた。何も悪いことをしていないのに。すべての元凶を小さな子供に押し付けて、新しく生まれる命まで奪い取った。確かにシューには魔族の血が流れている。けれど、こんなことを平気でする者たちこそ、本当の悪魔だ。

「大丈夫?」

声をかけられて、エックスははっと顔を上げた。

「え、?」
「こっち、隣」

少年の声とともに隣の壁を叩く音がする。

「ぐったりしたまま連れて来られてたから……」
「あ、うん、大丈夫……ありがとう。ここは?」
「わからない。僕、昔のこと覚えてないから」

エックスは、この声の主がシューで、あの夢の続きなのだと理解した。ということは、ここは人体実験を繰り返されていた施設か。正面には得体の知れない装置がある。

「記憶が、ないの?」
「うん……たくさんつらいめにあってきたから、薬を飲んで忘れなさいって」
「薬……」
「フワフワするんだ」

思い出した、自分も使われたことがある薬だ。記憶を消してから、実験をするとシューが言っていた。
エックスが話しかけようとしたとき、数人の研究者がやって来た。エックスには目もくれず、シューの元へ向かう。どうやら見えていないようだった。

「シュー、時間だ」

研究者の一人が扉を開けてシューを外に出す。その姿は先程より成長していたが、痩せていてまだ十代の前半といった年頃だった。彼は正面の大きなガラス容器に入れられた。

「何をするんだ」

叫んだつもりだった。でもやはり聞こえなかった。
装置が作動すると、ガラス容器の中にいたシューが悲鳴を上げて苦しみ出す。

「やめろ……もうやめてくれ」

鉄格子に縋るように、エックスは悲鳴を聞きながら項垂れた。これは悪い夢、しかし確かに現実に起こったことなのだ。
耳を塞ぎたくなる悲痛な声は次第に弱まり、装置が止まる。失神してぐったりとなったシューは、再び隣の部屋に移された。

「やはり魔族から抽出できる魔瘴は改良に欠かせないな」
「はい……」

数人の研究者が去ったあと、一人残った研究者がシューの部屋の前に立った。

「……すまない」

ただ一言、そう言い残して去っていった。この研究者の心を推し量る余裕は、今のエックスにはなかった。目の前で繰り返されるおぞましい出来事に気が狂いそうだった。

しばらくして隣の部屋から物音が聞こえてきた。

「シュー、大丈夫?」
「……うん、名前、知ってたんだ……」

思わず名前を呼んでしまった。シューは力無い声で応える。

「あ、う、うん、いつもあんなことされてるの?」
「僕には特別な力があるから、みんなのために役立ててほしいって……」
「それは違う!ここの人たちは君を悪いことに利用してるんだ……」

エックスがそう強く言ったとき、階段を駆け下りて来る音が聞こえた。先程一人残っていた研究者だった。彼は焦った様子でシューの部屋の扉を開けた。

「シュー、ここから逃げよう、こんな場所にいてはいけない」
「え、で、でも」
「さあ、早く」

困惑するシューを連れ出そうとした研究者だったが、それが叶うことはなかった。階段に向かおうとしたとき、他の研究者たちが下りてきた。

「最近様子がおかしいと思っていたが、情が移ったか」
「もう、こんなことはやめて下さい! 一体何人の子供を殺す気ですか!」

シューの手を引いた研究者はそう訴えた。しかし、無情にも放たれた魔法が彼の体を貫く。恐怖のあまり声も出せずに立ち尽くすシューの脳裏に、幼い頃の記憶が蘇った。

「お父さん、お母さん……僕の、僕のせいで、殺されたんだ、みんな、みんな、僕のせいでーーー!!!」

その刹那、凄まじい光があたりを包んだ。

光がおさまり、エックスは恐る恐る目を開いた。そこはあたり一面血の海が広がる空間だった。どこまでも続く、赤い海。今まで見せられた悪夢は、シューの過去だ。彼にとってはあの悪夢は現実に起きたことだった。エックスは、不安と恐怖で吐き気を催した。探さなくては。どこかにいるシューを。

血の海を歩いていくと、遠くにシューの姿が見えた。ほっとして駆け寄る。

「シュー、よかった……」
「……全部、俺のせいなんだ」
「え?」
「俺を拾ったせいで死んだあの二人、俺を守ろうとした研究者……この海は俺が殺してしまった人の血で出来ている」

シューは、そう言って振り向いた。真っ黒に穴が空いた瞳からは、血の涙が流れている。エックスの息が止まった。恐怖のあまり言葉を発することもできず、ガタガタと体を震わせる。
そして足元が沈み始めていることに気付く。

「俺が苦しめば、報われる」
「ひ……イヤだ! シュー……! こんなの、っ」

エックスとシューは、そのまま血の海の中へ引きずり込まれてしまった。

苦しい。苦しい苦しい苦しい。
鉛のように重くなり、沈んでゆく体。息ができないのに夢の中だからなのか、気を失うこともできず永遠に苦しみが続く。

(これが、こんなに苦しむことが君の望みなのか)

今までも苦しんできたのに、この上さらに苦しむことがシューの望みなのか。これ以上苦しんでいるところを見たくなかったのに。
そう、シューに愛情を注いだあの夫婦も、逃がそうとした研究者も、苦しんでいるところを見たいはずが無い。きっと幸せになって欲しいと思っているはず。だから生きなきゃいけない。

エックスの中から、清澄なる銀の光が発せられた。目を見開くと、血の海の中に漂うシューを見つけ、抱えて血の海から飛び出した。

「起きろ!! シュー!!」

倒れたシューの胸倉を掴んで起こすと、シューは薄っすらと目を開いた。

「……どうして邪魔をするんだ」
「ふざけんな!!」

エックスはシューの顔面を思い切り殴り付けた。再び倒れ込んだシューの上に馬乗りになるような形になった。どうせ夢だ、怪我なんてしやしない。

「見てきたよ、君がどんな仕打ちを受けてきたのか。苦しくて頭がおかしくなりそうだった……! でも君を守ってくれた人を裏切るような真似は許さない!!」

エックスの大きな瞳から涙がこぼれた。

「あの人たちが、君が苦しんで報われるなんてことあるわけない!! そんなこと望んでるわけない!! ちゃんと生きて、幸せになって恩を返せ!!」

シューの顔に、涙がぼたぼた落ちた。人のために流す、あたたかい涙。守ってくれた人たちも同じ涙を見せてくれた。あの人たちが、苦しむことを望んでいるなどあり得なかったのだ。
ずっと抱いていた後ろめたさに付け込まれ、悪夢に取り憑かれてしまった。

「ごめん、エックス。その通りだな」

シューはエックスの頭をぽんと撫でた。エックスは立ち上がると涙を拭って顔を背けた。

「なぐってごめん」
「いいんだ。効いたよ」

顔を見合わせて笑う。シューはもう大丈夫だ。あとは、悪夢の化身を倒すだけ。
血の海の中に、その悪夢の化身、ナイトメーアが姿を現した。不気味な獏に似たそれは、もはや悪夢では無くなったシューの夢の中ではなんの力もなかった。

「よくもこんな真似をしてくれたな」
「今回は僕もすごく怒ってるからね」

武器も何も持たない二人だったが、やることは決まっていた。渾身の力を込めた拳をナイトメーアに向かって突き出した。




エックスが夢の中に入って三日が過ぎていた。何もできず歯痒い思いをしていたサレは、落ち着いていられず家の中を掃除しまくりピカピカにしていた。

「少し落ち着きなさい、根を詰めるとあなたが参っちゃうわよ。あなたは二人のメンタル支柱なんだから」
「私はカウンセラーじゃないっつーの!」

ミリンはシューの部屋で眠り続ける二人の様子を見に行った。二人とも死んだように蒼白い顔をしている。エックスを信じて送り出したが、このまま目覚めないままだったら、と、さすがのミリンも些か不安になった。
と、その時、シューが身じろいで目を覚ました。

「シュー」

シューは眩しそうに瞬きを何度かすると、あたりを見回した。隣にはエックスがまだ眠っている。

「ミリン……君が助けてくれたんだな」
「私じゃなくてエックスよ」
「わかってる。でも君も手を尽くしてくれたんだろう。ありがとう……」

シューは目を細めて穏やかに笑った。
ミリンの声を聞いてサレも部屋に飛び込んてきた。

「シュー! よかった、目が覚めて……」
「心配かけたみたいだな、ごめん」
「そ、そんな、心配なんて……めっちゃした!!もー!おどかさないでよ!!」

怒ってるんだか泣いているんだかわからないサレにも笑ってみせる。

「……エックスは大丈夫なのか?」
「たぶんもうすぐ目を覚ますと思うけど……ナイトメーアはブッ殺したのよね?」
「ああ」
「じゃあ、もう少し待つしかないわね。あなたは少し体を動かしたほうがいいかもよ」

シューは青い顔で眠り続けるエックスをベッドに残して部屋を後にした。思った以上に体がバキバキで、筋力が落ちた分を取り戻さないといけないと思った。
ところが、数時間経ってもエックスは目を覚まさなかった。

「おかしいわね……まさか、毒薬のせいなの?」
「毒薬?」
「あなたを助けるために飲んだ薬なの。強い薬で苦しかったと思う……もしかしたら薬が効きすぎてるのかも……一応解毒薬を作ってみるね」

手伝う、と申し出たシューに、ミリンが首を振る。側にいて声を掛けて、と言ってサレと共に部屋を出て行った。
シューは、青い顔で眠り続けるエックスの手を握った。命懸けで救ってくれたのか。でも、それでエックスを失ってしまっては意味がない。態度や表情は冷静な振りをしていても、心の中は恐怖と不安が渦巻いていた。
そんなに時間が経たないうちにミリンが解毒薬を持って来た。青く透き通った液体が入った瓶を口に運び飲ませようとするが、うまくいかない。

「困ったなぁ」
「貸して」

シューはミリンから瓶を受け取ると、それを自分の口に含んだ。物凄い苦味が口の中に広がった。エックスの鼻を摘んで口を開かせ、口移しで無理矢理飲ませた。

「うっ……! に、苦っ……」

薬を飲まされたエックスは、あまりの苦さに咳込んで目を覚ました。

「あれ……? 僕……」

状況を理解できていないエックスは覗き込む仲間の顔を見回し、シューの顔を見てようやく思い出した。

「シュー……よかった、目が覚めたんだ……」
「ああ、君が救ってくれたから。ありがとう……」

安堵したエックスの瞳から、涙がひと粒だけこぼれ落ちた。シューが受けてきた仕打ちは本当に惨いものだった。人間の狂気を知った。それでも、シューは今日まで生きて自分の仲間に、気の合う友人になってくれた。

「二人の世界に入ってるところ悪いけど〜」

シューの横からミリンが覗き込んできた。

「ふ、二人の世界って……!」
「さっきの実は解毒薬なんかじゃないの。解毒薬なんか存在しないの。ただの苦い水」

ニコニコしながら言うミリンと、後ろで笑いをこらえているサレとは反対に、シューの眉間に皺が寄る。

「眠りが深いだけだったのか」
「そ、あ、でも毒が抜けきるまでは安静にね〜」
「待って、ミリン」

ルンルンと部屋を出ていこうとするミリンを、エックスが止める。

「サレもミリンも、ありがとう。二人がいなかったらシューを助けられなかった……ほんとにありがとう」
「どーいたしまして! あ、サレちょっときて」

ミリンはサレを連れて下へ降りた。何か深刻な話でもあるのかと心配したが、それはすぐに杞憂となった。

「あの二人ってやっぱ付き合ってるの?」
「……」

ミリンは口移しの際に写真を撮っていたらしく、楽しそうにそれを見せてきた。そんな彼女を、サレは死んだ目で見つめた。

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