エルトナの宿

人は、降り積もったばかりの新雪の上に、足跡をつけていくことに何故か嬉しさを覚える。それと同じ。何も知らずにこの世界に落ちてきた白くて無垢なものが地面に落ち、踏み荒らされ、黒く汚れていく様を見るのはまさに愉悦であった。そういう自分が潜んでいることに気付いた時、身体に流れる魔の血を呪った。




真夜中に目を醒ましたシューは、隣に眠るエックスを起こさないよう、カミハルムイ独特の布団という寝具から抜け出て部屋の引き戸、障子と言うらしい。それをゆっくりと開いた。冬の訪れと共にやってきた風花が音も無く降り続く。共に舞う万年桜という薄紅色の花弁は、雪灯りに照らされてなんとも幻想的だった。しばらく眺めていると、左目の奥に貫くような激痛が走った。エックスが時間の旅から帰ってきて以来、度々この痛みに襲われるようになった。

「シュー?」

目を醒ましたエックスが声を掛けてきた。月明かりに照らされた顔が不安に満ちる。ああ、この顔だとシューの心に棲む悪魔が笑った。エックスには、以前のような弾けるような子供の快活さは無かった。時間の旅は、彼に決して消えぬ傷を与え、陰を落とした。仕方無いと言ってすべてを押し付けた連中に憤りを感じたが、それと共に湧き上がったのは筆舌に尽くし難い、快楽に似た感情たった。

「ごめん、起こしたな」
「それはいいけど」

エックスも布団から出て雪が降る庭を眺めた。わあ、という声と共に白い息が立ちのぼる。

「キレイだね。……嫌になるくらい」

どこか遠くを見るように呟く。雪に黒い墨をさすように、エックスの心にも、シューの心にも、シミは広がってゆく。

「もう寝よう。風邪をひく」
「君こそ体が冷え切ってるじゃないか」

夜の霧を思わせる薄い青紫色の瞳は、青白い光をうけていつもより神秘的に見えた。大丈夫、と微かに笑ったシューは、戸を閉めて月から盟友を隠した。
本当は、世界から隠してしまいたかったけれど。

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