商品ナンバーX #監禁

ひどい頭痛で目が醒めた。しばらく無の状態で天井を見つめていたが、何が起こったのか思い出そうとした。確か、見知らぬ男に話しかけられて頼みたいことがあるからと、その男の研究室に案内されて、それから記憶がない。
体を起こすと頭に激痛が走った。脈打つように痛みが襲ってくる。窓のない、無機質な部屋のベッドに寝かされていたようだ。朦朧とする意識の中、鉛のように重い体に鞭打ってどうにか立ち上がった。
が、エックスは自分の足首を見て驚いた。枷がつけられ、鎖は重いベッドに伸びている。
「なんだこれ……」
ここまできてようやく理解した。自分はあの男に騙されて薬を飲まされ、監禁されたのだと。
「くそっ」
パニックになったエックスは、力任せに鎖を引きちぎろうとした。だがそんな程度でどうにかなる筈も無く、頭の痛みでベッドにへたり込んだ。エテーネの純血であることが広まってしまった以上、悪意を持って近付いてくる者もいるから気を付けろとシューに言われたばかりだった。自分の馬鹿さに嫌気が差した。
その時、部屋の扉が開いた。顔を上げるとそこにはあの時声を掛けてきた男がいた。メガネをかけ、人の良さそうな顔をした男はエックスを一瞥すると近くにあった粗末な机で何か作業をし始めた。魔物と対峙したときとは違う、得体の知れぬ恐怖が全身を駆け巡る。その恐怖を飲み込み、エックスは男を睨みつけた。
「お前……こんなことして何のつもりだ」
男は答えない。手に持った注射器を見て、血の気が引いた。逃げ出そうとして足の鎖を引き摺る音が虚しく響いた。壁に追い詰められたエックスには、近付いてくる男を睨み付ける気力すら残っていなかった。




エックスと数日別行動を取っていたシューは、魔法戦士団の詰所に来ていた。相変わらず凶悪な事件が絶えず魔法戦士たちが駆り出されているようだった。
「久し振りだな」
副団長のユナティが声を掛けてきた。
「どうも。副団長、何かこちらで受けることはありますか」
シューはスカウトを受けて皆伝した魔法戦士である。そのためヴェリナードに常駐しているわけではなく、普段はエックスと共に旅をしつつ、事件を単独で調査したりしている。ユナティは少し考えると、ある噂を話し始めた。
「以前拘束した魔物商人という連中を覚えているか?」
「ああ、あれか……」
魔物商人は、シューにとって因縁深い。デルクロアに拾われる前は魔物商人の元で人体実験を繰り返された。いや、そもそも人間として扱ってはもらえなかった。魔物と同じように改造されかけた。
「あの事件も氷山の一角でな、魔物商人というのはまだ多く蔓延っている。その連中が人間を攫っているのだ」
「人間を? 奴ら魔物の改造が専門の筈では……」
シューの脳裏に嫌な考えが過る。
「まさか」
「そのまさかだ。人間から魔物を作り出そうとしている」
シューは溜息をついて憤りを抑えた。こういう手合いは根絶やしにしない限りのさばり続ける。
「わかりました、調査してみます」
「ああ、よろしく頼む」
軽く会釈すると、足早に詰所を出た。何か胸騒ぎがする。エックスと合流するため、滞在しているグランゼドーラへ向かった。嫌な予感は的中した。エックスは宿に数日戻っていなかった。もう日が暮れていたが、構わず酒場へ向かった。
グランゼドーラの酒場は、ある程度の品を保っておりチンピラは少ないものの、それでも柄の悪い連中はどこにでもいる。運が悪い。今夜はそういう奴らが我が物顔で店を占拠していた。扉を開けて入った瞬間、年若く整った容姿の来客に店内は色めき立った。
「おや兄ちゃん、今日は貸し切りだぜ」
体格のいいゴロツキに酒臭い息を吹き掛けられシューは眉を顰めた。中は散らかっており、マスターや店員が怯えながらこちらを見ていた。
「人を捜している」
「人捜しぃ? どんな奴だ」
「茶色の髪と青紫の目の青年。誰か見ていないか」
少し大きめの声で、店内を見回す。だが男達は品の無い声で笑い出す。
「なんだぁ? 女かと思ったら男かよ? そういうシュミならオレらでも構わねぇよなぁ?」
胸倉を掴まれた瞬間、シューはその手を掴んで背負い投げた。男は物凄い音を立てて叩きつけられ、その衝撃で呆気なくのびてしまった。凍り付いた男たちを睨み付けた瞳が紅く光る。
「おい。こうなりたくないなら質問に答えろ。今すぐ全員縊り殺してもいいんだぞ」
いつになく殺気立ったシューに凄まれて、大の男が震え上がる。
「し、知らねえよ! そんな奴、そうだ、マスターなら知ってるんじゃねえか? お、俺達はそろそろお暇するぜ!」
男たちは出口に雪崩込むように逃げていく。シューは溜息をつきながら気絶したまま残された男の頭を足で小突いた。始終を見ていたマスターが恐る恐る声を掛けてくる。
「あ、ありがとうございました、最近この人たちに占領されて困っていたんです。それと、お探しの方ですが、何日か前にここで食事をしていましたよ」
「本当ですか」
「ええ、不思議な青紫の目の色をしていたのでよく覚えています。どなたかに声を掛けられて連立って行きましたが……」
「そうですか、ありがとうございます。これはこいつらの酒代と迷惑料です。この男は縛り上げておきますので屯所に突き出して下さい」
シューは懐から金を出すとカウンターに置き、まだ気絶している男を縛り上げて止める声も聞かず酒場を出た。







監禁されて何日経ったのだろう。毎日打たれる薬のせいなのか、頭がぼんやりして食欲もない。ベッドに横たわりながら部屋に入ってきた男にちらりと視線をやった。
「なんで、こんなこと……」
男は黙っていたが、ふっと笑うとベッドに腰掛けた。
「お前が材料に最適だったからだ」
「ざい、りょう」
「盟友にして時渡りの力を擁したエテーネ人、これほど魔物に改造しがいのある人間もそうそうおるまいよ。改造しなくとも化物じみているがな」
高笑いを聞きながら、エックスは霞がかる頭で言葉を噛み砕いた。この男は、自分を魔物に改造するために閉じ込めていた。腕を掴まれ薬を打とうとする男に抵抗する。この薬をこれ以上使われたら魔物になるのではないかと暴れた。
「やめろ! 魔物になんかなりたくない!」
「大人しくしろ!」
「うっ」
顔を殴られベッドに突っ伏す。弱った体では人間の男一人にも敵わない。
「お前は我々の最高の商品になってもらう。未知の意味を持つナンバーXとしてな」
男が再び腕を掴んだ。もう終わりだ。そう覚悟したとき、扉が蹴破られ人が飛び込んできた。

「エックス」

シューがグランゼドーラの兵士を引き連れていた。聞き込みを続け、グランゼドーラの兵士たちの手を借りて居場所を突き止めていた。エックスを掴んだ男を見て、切れ長の目が僅かに見開かれた。
忘れもしない、この男は自分を実験台にしていた研究者だ。同じ施設にいた魔物を惨たらしく殺して、今度は人間を手を掛けているというのか。

「なぜここが」

狼狽えた男の隙をつき、シューは一気に間合いを詰めて男の顔面を殴り飛ばした。間髪入れず胸倉を掴んで剣を振り上げる。エックスの背筋に悪寒が走った。

「人の領分を超えた下郎が。魔族に殺された魂は天へ召されず冥王の元へ行く。死して尚死ぬより苦しい責苦を受けて己を呪うがいい」

いつもは銀の瞳が紅く光る。その表情には薄く笑みを浮かべ、まるで悪魔の形相であった。剣を振り下ろした時、エックスが声を上げた。

「シュー! 殺しちゃいけない」

叫び声にその手が止まった。

「見たくないなら目を閉じろ。自分が何をされたのかわかってるのか。こいつは、八つ裂きにしても飽き足りない」
「人を殺したら、君が君じゃなくなってしまう気がするんだ。きっと後悔する。もうやめてくれ」

縋るようにそう言われ、シューは唇を噛んで剣を仕舞った。緊迫した空気が解かれて兵士たちが男を拘束した。繋がれた足枷を壊す。
「ありがとう」
立ち上がろうとしたが足に力が入らず倒れそうになるところを抱き止められる。
「ご、ごめん」
「シュー殿、エックス殿は城で介抱するようにと陛下から仰せつかっております故、我々がお連れ致しますが」
「いいんだ、ありがとう」
兵士の申し出を丁重に断ると、シューはエックスを背負った。
「……ごめん、僕なんでこんなにバカなんだろう。迷惑かけて本当にごめん」
あんなに忠告されていたのにあっさり騙されてしまった自分が情けない。
「確かにお人好しバカだな」
「うん……」
「でも、君はそのままでいいよ。俺もサレもそういうところが好きで一緒にいるんだから。迷惑だなんて思ってない」
「うん……ありがとう……」
怠い体をシューの背中に預けた。いつもピンチを救ってくれる優しい親友。思いとどまってくれて本当に良かった。このまま魔物になってしまっても、きっとシューが倒してくれる。安堵して緊張の糸が切れたのか、猛烈な睡魔に襲われてそのまま眠ってしまった。シューの背中がずしりと重くなった。全体重がのしかかる。
「重い……」
そう言いながら、表情は笑っていた。


エックスはかなり衰弱していたものの、泥のように眠ったあとは蒼白だった顔に少し血の気が戻りある程度回復していた。グランゼドーラ城のだだっ広い部屋にぽつんと一人でいると監禁されていた時のことを思い出してしまう。あのまま助けが来なかったら─
扉がノックされ、体がはねた。ちょっとのことにビクついてしまって恥ずかしい。返事をすると、シューが入って来た。
「あ、シュー」
わかりやすくぱっと表情が明るくなる。
「まだ顔色が悪いな。気分は?」
「うん、大丈夫。でも変な薬打たれたから」
不安そうに痛々しい注射痕を見つめる。シューは近くにあった椅子を引き寄せてベッドの近くに腰掛けた。
「あの薬は記憶や思考を奪う薬だ。魔物を抜け殻にしてから改造する」
「そうなんだ」
ほっとすると同時に、ふと疑問が浮かぶ。それに気付いたシューが続ける。
「俺も同じ薬を使われてたから。半分は魔族だからな、お誂え向きだったんだろう」
「そんな」
揺らぐ瞳を見てシューがふっと笑った。
「昔の事だよ。気にするな。あの男は牢にぶち込んである。ロクサーヌの矯正プログラム行きだ」
エックスは、膝を抱えて蹲った。シューがあんなに激昂した理由がわかった。
「どうしてこんなひどいことするんだろう。同じ人間なのに。魔物だって、薬漬けにして改造するなんていくらなんでもひどすぎるよ。あの時は君を止めたけど、本当にこれで良かったのか」
「君が止めてくれなかったら、今頃俺も御縄頂戴だ。それに……」
あの時、怒りと憎しみにつられるようにドロドロした黒いものが体の奥から這い上がってきた。快楽に似た感覚で、これを外に出したら最後、支配されてしまうような気がした。エックスの言葉通り元に戻れなくなるだろう。
「いや、止めてくれてありがとう、エックス」
「……うん、よかった。僕の方こそ助けてくれてありがとう」
エックスは顔を上げてようやく笑顔を見せた。と、ちょうどその時、ノックが聞こえた。アンルシアの声がして、シューが扉を開けた。気を利かせたのか、シューは会釈をすると退室していった。
「エックス、よかった。少し元気になったのね」
心配そうな顔をして、アンルシアが駆け寄ってくる。
「うん、ごめん、心配かけて」
「いいのよ、そんなこと。本当に無事で良かった。助けに行けなくてごめんなさい」
「そんな、君が謝ることないよ」

扉の前で二人の会話を聞いていたシューは、穏やかに笑うとその場を離れようとした。
「あらぁ、シュー。そんなところで出歯亀かしら」
サレが悪戯っぽく笑いながら近付いてきた。一時だけ旅芸人の一座に戻り興行していたが、騒ぎを聞きつけて戻ってきたらしい。
「今はアンルシア姫がいるから」
「わかってるわよ、うら若き乙女と純朴な少年の恋路を邪魔するなんてそんな野暮なことは致しませんとも! でも聞き耳は立てちゃお~っと!」
シューは心底うんざりしたように溜息をつくと、扉にへばり付いたサレを引き剥がして引き摺っていった。

category

hashtag

backnumber