聖者の詩

冷たい水を張った桶にタオルを浸す。手早く水気を切り、苦しそうに息を吐くエックスの汗ばんだ顔を拭った。サレは、ここに宿を取ろうと言ったことを後悔した。

エックスたちは、エルトナの木陰の集落と呼ばれる小さな集落で宿を取った。翌朝、なかなか起きてこないエックスとシューに文句のひとつでも言ってやろうと思いテントに乗り込んだ。それもそのはず、二人は謎の病に罹り高熱に浮かされていた。
発症したのは二人だけではなく、集落の人々の中にもいて、所謂流行り病というものだと聞いた。エックスとシューの高熱はなかなか下がらず、全身に黒いアザが出ていた。サレにはどうすることもできず、ただ僧侶たちが到着するのを待つことしかできなかった。
冷たさで気が付いたのか、エックスが目をさました。だが様子がおかしいことに気付く。

「目が、目が見えない、足が動かない、誰か」
「落ち着いてエックス、大丈夫よ、私がいるから」

エックスの視力は、病のせいで失われていた。錯乱したエックスを必死に宥めていると、テントの中に誰かが入ってきた。

「ミリン」
「遅くなってごめんね」

ミリンと呼ばれたエルフの少女、正確には成人女性だが。彼女はエックスを見るとすぐに駆け寄って治癒魔法をかけて薬を打った。落ち着いたエックスが再び眠ったことを確認すると、隣に眠るシューにも同じように処置をした。

「ありがとうミリン、私もうどうしたらいいかわからなくて……」

ミリンは、両手で顔を覆って啜り泣くサレの背中を擦って宥めた。普段の様子からは想像できない姿だった。

「しっかりしなさい。泣いてる暇はないの」

ミリンはそう厳しく言い放った。サレは涙を拭って頷く。ミリンは、エックスとシューに出ている黒いアザを診た。

「これは三百年前に流行った死神の息吹という死病だよ」
「あなたでも治せないの?」
「閃香樹という香木があれば快癒するのだけれど、絶滅植物なの」
「そんな」
「まあ聞きなさい。実は修道会が崇めてるエルドナ神のご神体が閃香樹でできてるの。今からそれを拝借して焚いてしまおー!」

さらっと言ってのけたミリンに、サレは些か狼狽した。

「ご神体なんでしょ? そんなの燃やしちゃっていいの!?」
「ご神体なんてただのしゃべる木だもん、お祈りしてもなーんにもしてくれないもんね。それにご神体燃やされたからって怒るような神様だったらとっくにエルフなんて絶滅してんじゃない?」

サレはご神体をただのしゃべる木とまで言い放つミリンをポカンと見ていた。凛としていたかと思えばまた普段の陽気な姿に戻ったりと忙しい人だ。

「じゃ、チャッチャと取りに行きましょ。キリカの産屋ってとこにあるの……」

そう言った時、今まで比較的落ち着いていたシューが激しく咳込んだ。いけない、と呟いたミリンはサレに手伝いを頼みシューの体を横向きにさせた。咳と共に血を吐き出す。慣れているのか、ミリンは少しも動じずに処置をしていた。

「ご神体は私一人で取りに行く! ミリンはここの人達のことをお願い」
「う~ん。そうだね、そのほうがいいかも。あなたも眠ってないみたいだし気を付けてね」

ミリンは少し迷ったあとそう言った。サレは運良く免れたようだが、病人たちの世話で心身共に限界に近付いていた。そのせいでこんならしくもない、弱々しい姿になってしまっているのだ。
地図に印をつけてもらい、身支度をするとサレは急いでキリカの産屋へと向かっていった。


サレが発ってからしばらく後、ミリンは症状が落ち着いたエックスとシューを他の僧侶に任せてアルノーという子供を診ていた。この子供が最も重篤で、最早サレが間に合ってくれることを祈るしかないのだった。テントの中に、一人のエルフの女性が入ってきた。アルノーの母親、ヘルガだった。彼女は修道会の導師でミリンとは顔見知りであった。

「アルノーはどうなのだ?」
「どうって、分かっているでしょう、これがただの流行り病ではないと。香木がなければこの子は助からない」

ヘルガは俯いて眉を顰めた。香木、つめりエルドナ神のご神体を焚けば息子の命は助かる。しかし、信仰する神のご神体を燃やせるはずもなく。

「安心なさい。香木はもうすぐ手に入るから」
「閃香樹は絶滅している筈では」

ヘルガはミリンの言葉の意味を察すると、顔を上げた。

「まさか、エルドナ神像を!? あれにはエルドナ神が宿っていることを忘れたか。僧侶にたちが信仰し綿々と守り伝えてきたご神体を燃やすというのか! お前は間違っている!」

ヘルガに食って掛かられてもミリンは動じず、真っ白な肌に浮かぶ氷のような双眸をヘルガへ向けた。

「ご神体に祈れば病が治るというの? 自分たちの信仰のために大勢の人を見殺しにするつもり? 信仰と人命、どっちが大事か、あなた、そんなこともわからなくなってしまったの。信仰心だけで人は救えない」

声を荒げるわけでもなく、しかし強く言い放つ。ミリンの少し勝ち気な瞳はまっすぐにヘルガを捉えた。青い視線は、氷水を浴びせたようにヘルガの目を覚まさせた。

「ああミリン、ありがとう。目が覚めた。お前の言う通りだ……信仰と命を天秤にかけるなどあってはならぬ。本末転倒もいいところだ」
「それでこそヘルガ僧正」

親指を上げてオッケーのポーズを決めたミリンに、ヘルガは頷いた。

と、ちょうどその時サレがテントへ駆け込んできた。その姿を見てミリンはギョッとした。あちこち擦り傷をつくり、あれ程着るものに気を遣っている娘の着衣はボロボロになっていた。頭の傷がひどいようで、血が流れている。

「派手にやったね、早く手当を」
「ギガンテスに追い掛けられて転んだだけよ。 大したことないから私よりこの子を」

そう言ってご神体を差し出した。ミリンは早速高炉で準備をし始めた。お香まで作れるのかと眺めているうちに煙が立ちのぼり良い香りが漂い始めた。少し経つとアルノーのアザは消え、蒼白だった顔にも血の気が戻ってきた。

「アルノー」
「お母さん……」

昏睡状態からも回復し、呼び掛けにも応えた。ヘルガは安堵したように我が子の手を握った。サレとミリンは、顔を見合わせると香炉を持ってテントを後にした。

「すごいわね、こんなに即効性があるなんて」
「ただの病じゃないからね」

どういう意味なのか聞き返そうとしたが、修道会の僧侶たちが集まってきた。香炉を持ったミリンを見てざわつく。

「ミリン、まさかご神体を」
「ええ、大僧正。私がこの子に頼んで持ってきていただきました」
「なんという取り返しのつかぬことを……この大罪人たちを捕らえなさい!」

イヨリ大僧正は激高した様子でサレとミリンを捕らえるよう周囲の僧侶たちに命じた。しかし、どの僧侶も躊躇い動こうとしなかった。言い返そうとしたサレをミリンが止めた。

「お待ちください。彼らのしたことは間違いではありません。我々がご神体を受け継いできたのはこの日のためだったのです。ご神体より大切なのは人々の命です。彼らを見殺しにするおつもりですか」

ヘルガがテントから出てきた。その言葉に大僧正は目を見開く。

「どちらにしろ話は後にしていただきたい。他の病人の治療をしなくては」

ミリンか進むと僧侶たちは道を開けてただおろおろと見送った。先に体力のない子供、次に女性の順に病を払い、冒険者というだけあって比較的体力のあるエックスとシューは最後になった。香を炊いて処置をしている間、サレはヘルガに傷の手当てをしてもらっていた。

「この額の傷は少し痕が残ってしまうな……本来なら私達が取りに行かなくてはならなかったというのに。申し訳ない。アルノーや人々を救ってくれてありがとう」
「いえ、ヘルガ様たちがいなければエックスもシューも、それに集落の人たちも病気の進行が早かったと思うんです。私には他にできることもないから。それにこんな小さい傷、前髪で隠れちゃうし! 本当にありがとうございます」

そう言って明るく笑って見せたサレに、ヘルガもほっとしたように笑った。と、テントの外から声がかかった。反応したのはミリンであった。

「割と早かったね~。どうぞ入って」

失礼する、と言って入ってきたのはエルフの男性だった。が、その背の高さにサレは驚いた。ニコロイ王と同じくらいの、エルフの規範を超えた大きさだった。それも怖いくらいの美貌の持ち主で、クセの強いオーロラ色の髪に、切れ長の淡いミントブルーの瞳がなんとも儚い印象を与える。服は陣羽織と呼ばれるエルトナの戦闘服を身に纏い、これもエルトナ独特の刀という武器を腰に何本も佩いている。

「めちゃくちゃいい男!!」

思わず叫んだサレに、ミリンがケラケラ笑った。

「いい男だって、よかったね兄上様」
「兄!?」

ミリンに兄上と呼ばれた男は、頭を深く下げて自己紹介をした。

「お初にお目にかかります。私はビャクシンと申します。カミハルムイで将軍を務めております。私が遠征の折に、エックス殿やお仲間の方々には我が国の窮地を救っていただき感謝申し上げます」
「エッ、あ、ハイ、ご丁寧にどうも」
「ヘルガ殿もご無沙汰しております」
「ビャクシン殿も息災で何よりです」

堅苦しい挨拶が続き、背筋を伸ばして固まっているサレを見てミリンがまた笑った。

「そんな退屈な挨拶は終わりにして。兄上、準備はできてる?」
「ああ」
「準備?」
「前から調べてたの。死神の息吹はただの病じゃない。元凶は意思を持つ病魔なの。それを倒さない限りこの病はまた現れて人々を苦しめる。閃香樹がなくなってしまった今、また現れてしまったら今度こそ世界は終わる」
「ミリン、そこまで調べていたのか……まさか修道会を抜けたのは」

ヘルガの言葉にミリンはちょっとだけ笑った。ミリンは元々修道会に身を置いていたが、ある日突然手紙を残して修道会を後にしていた。ミリンはエックスとシューを交互に見た。

「この香は病魔をあぶり出すためのもの。今はエックスとシューが戦えないから、ここに来るときに兄上を呼んでおいたの。……そしてこの二人が最後の罹患者。もうすく正体を現すはず」
「ちょ、そういうことはもっと早く言ってよ!」

サレがそう言った直後、テントの中に不気味な空気が漂う。生臭い風が渦巻き、何かが飛び出して行った。

「逃げちゃう! 追いかけないと!」
「大丈夫、集落に結界を張っておいたから。私ってほんと天才!」

ポーズを取りながら自撮りを決めるミリンにさすがのサレもドン引きしたが、はっとしてテントを飛び出した。

「ひい! 何あれ何あれ!」

外では逃げ場を失った病魔が正体を現していた。ヘドロのようなドロドロした球体に、たくさんの顔がついたグロテスクな見た目で、ひどいニオイを放っている。ニオイだけなら良かったが、空気が穢されていく。

「うっそ~! 結界の中に空気が閉じ込められちゃってる~!」
「これは、まずいな。この毒素の中では満足に動けんぞ」

その時、ミリンの頭の中に声が流れ込んできた。声というよりは歌のようなものだった。そしてそれはミリンだけではなく、その場にいたすべての僧侶たちの頭に流れていた。どこかで聞いたことのある声は、そう、これはエルドナ神のものだ。エルドナ神が力を貸してくれている。

「皆、エルドナ神と共に唄うのです!」

大僧正の声とともに、僧侶たちは昔から知っているかのように、声を合わせて高らかに唄い出す。病魔は苦しみ出し、穢れた空気は一瞬にして清澄な、あたたかいものへと変わった。サレは、その様子を呆気にとられて見ているだけだったが、どこからともなく、あなたも一緒に唄って、という声が聞こえてきた。優しくて、でも少女のような可愛らしい声だった。これがエルドナ神の声だとすくにわかった。そしてこの歌が聖者の詩という神の福音だということも。

「兄上、今だよ!」

ミリンがそう叫ぶとビャクシンは一気に距離をつめた。抜刀する刹那、ミリンは右手からあふれる光を刀に向けて飛ばす。間髪入れず、一閃。ただの一太刀ですべては終わった。この世のものとは思えぬ断末魔を上げて病魔は消滅した。少しの静寂のあと、皆から歓声が上がる。

「やったぁ!」
「な、なにが起きたの……? 全然見えなかった」
「今のは私の家に伝わるホーリーライトっていう聖なる光の技なのだ! といっても、私の力だけじゃあれは倒せないって思ったから兄上に来てもらったんだけどね」

目にも留まらぬ迅速の剣で病魔を倒したビャクシンの腕を組み、ミリンはピースサインをした。

「お前は相変わらず詰めが甘いなー。エルドナ神の助けがなかったら普通にヤバかったんじゃね」
「さすがのミリンちゃんも結界でピンチになるとは思わなかったのだ」
「そーすか」

サレはなんだこのめちゃくちゃな言葉遣いは。と、思いながら兄と妹のやり取りを見ていた。ビャクシンの先程の堅物のイメージが一気に消えてしまった。

「では後のことは任せるぞ。陛下には私から報告しておく」
「ありがとー! その他の兄上にもよろしくう」

また堅物っぽい感じに戻った。乗ってきた馬に跨り、颯爽と去っていってしまう。

「そのたって……他にもお兄さまがいるの?」
「あと二人いるよ。ビャクシン兄上は長男なの」
「はえー……」

きっとみんないい男なんだろうけど、きっとみんななんか変なんだろうなとサレは勝手に決めつけた。

「とにかく、ありがとうミリン。あなたのお陰でみんな助かったし、病魔もやっつけられた」
「私だけじゃないよ、ここにいる修道会のみんなと、あなたの頑張りもある」

二人の周囲に僧侶たちが集まってきた。

「先程の非礼をお許しください。私が間違っていた……危うくすべての人々の命を見殺しにするところでした」
「先程の非礼って何でしたっけ? それより大僧正、病は消えましたが、彼らの体力が戻るまでは修道会でケアお願いしたいのです」
「勿論です。皆、どうかよろしくお願いしますよ」

僧侶たちは、再びそれぞれの持ち場へと戻っていった。はっとなったサレがテントへと入る。色無く眠っていたエックスとシューは、今は顔色も良くなり穏やかな寝息を立てていた。

「よかった。ミリン、ヘルガ様、本当にありがとう……」

安心すると同時に猛烈な眠気に襲われた。そういえば二日も眠っていない。今までは緊張と興奮で眠気など感じていなかったが、それがなくなり一気に来たようだ。

「ちょ、ちょっと私も寝る……」

そう言いながら隅で眠り始めたサレにミリンは布団を掛けて間仕切りを引いた。

「……聖者の詩か。ご神体など無くてもエルドナ神は見守ってくださっている。感謝いたします……」

ヘルガは静かに祈りを捧げた。

「さてと、ここはもう大丈夫だね。ヘルガもありがとう、アルノーのそばにいてあげて」

ヘルガは頷くとテントを後にした。ミリンもテントを出ようとしたが、声が聞こえて振り向いた。どうやらエックスが目を覚ましたようだった。

「ミリン……?」
「お目覚めかな王子様。目は見えてるみたいだね。足は? 動かせる?」

ミリンに言われてエックスは自分に何が起きていたのか思い出した。足が動く。目も見える。寒気と怠さも消えていた。

「君が治してくれたんだね。ありがとう……」
「天才ミリンちゃんですから~! でもね、今回は私一人じゃどうしようもなかった、色んな人が尽力したから助けられたの。エルドナ様までシャシャってくれたんだから」
「エルドナさま……そうなんだ」

眠っている間、暗い場所で冥王の声を聞いた。

─お前は多くの者を救ったが、お前を救える者はおらぬ。

エックスにとって、冥王は今まで戦ってきたどんな相手より恐ろしい存在だった。命を奪われる時の痛みや苦しみ、そして恐怖はたとえ冥王を倒したとしても拭い去ることはできなかった。心に巣食った死の恐怖、つまり冥王は隙あらばその象徴である鎌を喉元へ突き付けてくる。自分で作り出した幻影に度々怯えていた。
でもいつも助けてくれる人がいる。それは仲間だったり、アンルシアだったり、見知らぬ人だったり。今回もたくさんの人に救われた。

「僕は恵まれてるよね。感謝しないと」
「そのとーり! あ、シューももう大丈夫だよ。あと、サレも本当に頑張ってくれたから、お礼言っときなさい。顔に傷痕残っちゃったし」
「えっ!? か、顔に」
「大丈夫、こーんな小さいのだから。まったくいじらしいじゃない、あの子ただのウルサイ守銭奴じゃなかったんだね。今は爆睡してるから、あなたもまだ眠ってなさい。体力は消耗しているから。詳しい話は回復したあとあと!」
「う、うん……」

やはり消耗していたのか、エックスは少しも経たないうちに再び眠りについた。

その後、集落の人々は快癒し、ニコロイ王により死神の息吹は終息、根絶の宣言がなされた。修道会は最も力を尽くしたミリンを表彰するよう推薦したが、当の本人は辞退して再び旅に出たのだった。
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